レゴのロボット大会と、「失敗」が出来るからこそ、その失敗を元に成長することが出来るという話
長男に、「レゴスクールに通ってよかったことって何?」って聞いてみたら、「ロボットが作れて、コンテストに出られたこと」って言われたんですよ。
ということで、どうもしんざきです。しんざきは三児の父でして、長男が12歳の小学6年生、長女次女が7歳の双子で小学2年生です。好きなロボットは昔ファミコンで出てたジョイメカファイトのスカポンです。皆さん覚えてますか?ジョイメカファイト。ファミコンであんな格ゲーが出来ると思いませんでしたよね。
すいません、いきなり話が盛大に逸れました。
長男は小学校3年の頃からレゴ教室に通っています。元々レゴ好きな長男が「レゴを習う習い事がある」ということを聞きつけて、「これやってみたい!!!」と言い出したことが始まりなんですが、もう3年くらい通い続けてずっと楽しそうにしているんで、通わせてあげてよかったなーとは思っていたんです。
ただ、当初、「レゴを習うって何やんの?」という疑問があったのは正直なところでして、レゴなんて自由に遊ぶもんじゃん?習うことなんてあんの?であるとか、「習うようなことがあったら、却って遊び方を制限させちゃうんじゃないの?」といった心配もあったんです。
今回、Kicksさんに何か書かせて頂くことになりまして、折角身近にレゴ教室に通っている長男がいるので、「レゴ教室に通って、実際に何が得られたのか?」ということを、本人へのヒアリングを元に書かせて頂きたいと思います。よろしくお願いします。
今回は、「真剣な失敗をすることが出来た」「失敗からのリカバリのノウハウを身に着けることが出来た」という話をします。
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冒頭に書いたことなんですが、長男の中で、「レゴスクールに通ってよかったこと」の一番に出てくるのが、ロボットコンテストの話でした。
実は、「コンテストに出られたこと」が長男にとって「よかったこと」に含まれてるのって、私ちょっと意外だったんですよ。
レゴで作れるロボットって、マインドストームっていうソフトで実際にプログラミングをして動かすことが出来るんですが、それで出られるロボット大会、ロボットコンテストが幾つかあるみたいなんですよ。長男の場合、FIRST LEGO LEAGUEっていう、小4から高1までの子を対象にした大会だったんです。
私昔からロボコンって好きでして、工業高校の学生が色んなロボットを作ってくるような大会あるじゃないですか、ロボットにボールを運ばせたり、ロボット同士相撲させたりするヤツ。私自身は昔からガチガチの文系で、ロボット工作なんかとは縁遠かったもんで、ああいうのものすっごい羨ましかったんですよ。なので、ただ「ロボットを作って大会に出られる」っていうだけで、結構長男が羨ましかったりしたんですが。
で、チームで色々と相談しながら何週間もかけてそれ用のロボットを作りまして、ちゃんと動くようにプログラミングして何度もテストして、ついに大会本番、ってことになった訳です。
先に書いちゃうと、この時、大会自体は大失敗だったんですよね。大会にたどり着いて、セッティングをしていざ本番、って時に長男たちが作ったロボット、動かなくなっちゃいまして。よくある話みたいなんですが、本番時に配線がずれちゃったことが原因らしくって、結局時間内に直せなくて一回戦敗退です。
帰ってきてからも床をごろごろ転がりまわるくらいものすごーーく悔しがっていたので、どっちかというと「嫌な思い出」になっているかと思ったんですが、これが違うみたいなんですね。
長男にとっては、これ、「滅茶苦茶楽しかった思い出の一部」らしいんですよ。
つまり、勿論勝てなかった、それどころか本番でロボットがまともに動かなかったことは物凄く悔しいんだけど、けど皆で何週間もかけてロボットを作ったこと、プログラミングしてそれを実際に動かしたこと、それを大会という晴れの舞台に持っていけたことは、ただそれだけで丸ごと「極上の成功体験」で。すごーーい緊張感の中、動かせる動かせないっていう思考錯誤をあれこれ繰り返すのも、本人の中では「プロチームが全知を結集してメンテに挑んでいる」みたいな、得体の知れないカッコよさを感じていたらしいんです。
だから、ロボットを作って大会にもって行けた時点で、それは既に本人の中で一つの「成果」であって、一方最後の失敗は「次は絶対に大会で動かしてやる」という強烈な動機になっているようで。言ってみれば、極上の体験という料理に振りかける最後のスパイスが「大会での失敗」ですよね。
で、今、次の大会に向けてのロボットを毎週作りに行っているわけなんです。
多分これは、教室で教えてくれる先生方の持って行き方も上手かったんだろうと思うんですけどね。恐らく、ロボットが完成した時も、大会で失敗した時も、それぞれ上手いこと、本人の達成感になるようにフォローしてくれたんでしょう。それ自体はすごーく有難く思っています。
皆でロボットを作って、そのロボットを大会に持っていった経験を抱いたまま、すぐ「次の大会」という目標に向かっていくことが出来る。これは、「ロボット作りと、ロボットコンテスト」という立て付けならではの経験だと思うんですよ。ロボットを作ること自体が面白くって、「ロボットを作れた」ということ自体は強烈な成功体験になるからこそ、その後の失敗でもモチベーションが削がれない。次に向かって進むことが出来るんです。
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何度か書いているんですが、私、「モチベーションは成功体験が、テクニックは失敗体験が育てる」と思っておりまして、成功体験と失敗体験ってそれぞれすごーく大事だと認識しているんです。
つまり、成功することによって、「何かを成し遂げることが出来た」という思い出が出来る。それ自体が本人にとって大きなご褒美になって、「また何かを成し遂げたい」という動機になる。
そして、失敗することによって、「何がいけなかったのか?」と考えることが出来る。「どうすれば成功させることが出来たのか?」と振り返ることが出来る。そしてそれが、実際に生きたノウハウとして頭に刻まれていく。
皆さん将棋って指します?将棋の感想戦って強くなる為に滅茶苦茶重要なんですけど、特に負けた側にとって極めて大事なんですよ。将棋に負けたっていう悔しさがあるからこそ、「どうすればよかったのか」というのを凄く真剣に考えられるし、それをしっかりと脳内に刻み込むことが出来るんです。それは、丸ごとそのまま、負けた側にとって「強さ」になる。
また、「失敗したことを受け止める」という経験も、失敗体験の重要な一つの要素ですよね。失敗してしまった、というのは当然悔しいことです。けれど、失敗を受け止めて、見つめて、それを冷静に飲み込むことが出来れば、そこからもう一度、更にパワーアップして立ち上がることが出来る。死の淵から蘇ったサイヤ人みたいなもんです。ただ、自分の失敗を見つめるってこと自体は、かなりの精神力を必要とすることです。「悔しさから逃げずにもう一度チャレンジする」為には、実は結構慣れや経験が必要なんですよ。
「真剣な失敗」が出来る機会って、大事です。人によっては、そういう機会をいつまでも持てないまま大人になってしまって、いざ大人になって強烈な挫折を味わって、そのまま立ち直れずに潰れてしまうことだってあります。自分の気持ちの立て直し方を知らないと、それを後から身に着けるのって凄く大変なんですよね。
勿論失敗体験って、ある程度「真剣な失敗」「重い失敗」でないとあんまり意味がなくって。心の底から「悔しい」と思える失敗、色々なものを積み上げた末に経験する失敗程、本人にとっては大きな経験値になるものなんです。普段の遊びでちょっと失敗したからといって、それは別段失敗体験という程残りません。
ただ、勿論失敗は失敗でも、大ケガをしちゃったり、命に関わる程の失敗だったら洒落にならないので、言い方はちょっと変ですが、「適切なスケールの失敗」って結構機会を作るのが難しいんですよ。
だから、レゴ教室という舞台で、その後の未来を左右する訳でも大きなお金を失う訳でもない、けれど真剣に挑んで心の底から悔しがれるような、そういう「失敗の機会」が得られたことは、長男にとって凄く大きなことだったんじゃないかなあ、と思っているんです。
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ということで、今回は、レゴ教室における「失敗体験と、そこから再起する経験」についての話を書いてみました。
元来、「失敗をするには、まず目標を決めなくてはいけない」ということは一つの真理でして、ゴールがなければ「そこにたどり着けない」という失敗も存在しない。
なんでもない遊びに一つのゴールラインを引いてくれるというそれだけでも、少なくとも長男にとっては、レゴ教室に通う大きな意味の一つではあったなーと。
そういう話だった訳です。
今日書きたいことはそれくらいです。